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特集


自然との共生をひたすら歩むバッタリー村

2006年12月27日

 久慈駅から山形町に向かい、県道一戸山形線を九戸村に向かって進むこと、車で約50分。山形町荷軽部の木藤古集落は、山あいのひなびたところにある。集落の戸数は5戸。おそらく日本一小さな村の「バッタリー村」だ。
 バッタリー村の村長は、木藤古徳一郎さん。日本一小さな村長だが、この辺では知らない人がいないくらいの有名人だ。というのも、日本一小さな村とは言うものの、夏場になると実に多くの大学生などの若者や都会の人たちが、このバッタリーでの昔ながらの山村文化の体験を追い求めてやって来る。
 村の村民憲章には、「与えられた自然立地を生かし、都会の後を追い求めず、独自の生活文化を創造しよう」などとある。確かに、この村民憲章のとおり石臼を使った豆ひきや炭焼き体験、自然を生かしたものづくりなど、村での生活体験は自然と向き合って行うことばかりだ。
 私は、木藤古村長のことは以前から講演などを聴き知ってはいたが、今年の夏、初めて直に会ってお話を聞く機会を得た。その日も東京やその他からの大学生らが山村宿泊体験をしている最中であり、ずいぶん忙しいようだったが、それにもかかわらず奥さんと一緒に歓待してくれた。
 村長の眼光は、非常に鋭いが、同時に何ともいえない満面の笑みをたたえ、すべての者を包み込むように訪問者を迎えてくれる。年間、1,000人にも及ぶ来村者があるのは、都会にはない山村文化を体験できることに魅力を感じてのことはもちろんのことだろうが、この村長の人間性に負うところも大なのだろうと思う。
 「バッタリー村」の開村は、昭和60年7月14日。くしくもこの日は、フランス革命に当たる日である。しかし、これは単なる偶然だとは思えない。おそらく村長は、この日と決めて開村を行ったような気がする。
 それは、口にこそ出さないが、文明の利器などの便利さや豊かさだけを追い求める、われわれ現代人に対する強烈なアンチテーゼ(否定的な考え)に思えてならないのである。
 「バッタリー村は、観光は絶対に追い求めない。ただし、私たちと一緒に自然の中で何かをつくっていこうという人ならば、この村はどなたでも受け入れます。ただし、最近は皆さんへの恩返しの意味も込めて、グリーンツーリズムの一翼だけは担っていかなければならないのかなと軌道修正をしています」と笑って村長は話す。
 この言葉を聞くと、一瞬、多少ぶれてきたのかなとも思えるが、実際はその逆である。開村して22年目に入り、村長を中心に築き上げてきた村の精神が間違っていなかったという自信の表れであり、これからもおそらくバッタリー村は、文明の利器の恩恵に預かるわれわれ現代人に、いろいろな意味で強烈なメッセージを送り続けてくれるだろう。

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